開発1000系

基本性能

  • 編成
    • 登場時:デハ1000(Mc)+クハ1500(Tc)
    • 3両化後:デハ1000(Mc)+デハ1000(M)+クハ1500(Tc)
  • モーター出力:110kW
  • ギア比:6.07
  • 制御器:直並列組合せ抵抗制御(1C4M)
  • ブレーキ方式:電磁直通ブレーキ(HSC)
  • 起動加速度:2.0km/h/s
  • 最高速度:100キロ(認可75キロ)

概要

習志野開発鉄道1000系(開発1000系)は、1966年から2003年まで在籍していた車両である。

1966年の習志野開発鉄道線北習志野~実籾間開業時に2連3本が新造され、1996年に3連1本に組み替えられた(余剰3両はこの時に廃車)。その後、2003年に4000系と入れ替わる形で残る3両も廃車となった。

走行装置

未成となった10両化計画

現在でこそ最長3両のジェイサイドラインであるが、開業当初は10両編成での運転が計画され、1981年の幕張延伸時まではホームも10両対応に準備した構造となっていた。当然車両側も10両化を考慮しなければならず、本格開業時には中間車を増結して10両化する予定だった。

10両編成を組むことを考えた時、抵抗制御車であれば、MM'ユニット3組に適当な制御車や付随車を繋げた6M4Tとするか、電動車側をMM'ユニット2組に1M車1両とした5M5Tとすることなどが考えられる。開発鉄道では地下鉄線との直通は計画していなかったので、高MT比化は不要とされた一方、暫定開業時の小運転でも経済性を損なわないようにすることが求められた。

暫定開業時の組成

北習志野~実籾間は都市規模からいって2~3両編成で十分とされたが、投資を最小限とするため、2両が選択された。2両編成で経済性を求めるとなると1M1Tしか選択肢がないものの、制御方式は永久直列(端子電圧375V)か直並列(端子電圧750V)かのどちらかを選択することができた。

前者は発電ブレーキが有利であるが、高速域で加速する際の損失が大きい。また増結車を1C8Mとする場合はモーターを共通化できる。一方後者は加速時の損失は抑えられるものの、発電ブレーキが若干不利となる。開発鉄道では今後10両運転を行う際に無駄のないセッティングがよいとして、後者の直並列(端子電圧750V)を選んだ。

なお、将来増結する車両についてはMM'ユニット(1C8M)とすることになったが、こちらのモーターは端子電圧375Vとなり、モーターが異なるので予備品が増えてしまう。しかし、MT比低減により、電力使用量の低下、修繕費用の低減、更には電装品を載せない分だけ軽量化が可能になるなど、様々な要素に好影響を与えることが考えられたので、このようにしたという。

  • 750Vモーター
    • 端子電圧750V時:1時間定格出力110kW、1350rpm(85%界磁)、最高回転数4,400rpm
  • 375Vモーター(未成)
    • 端子電圧375V時:1時間定格出力110kW、1350rpm(85%界磁)、最高回転数4,400rpm

車体

全長20mで両開き4ドアの鋼製車体である。またこの頃の車両としては珍しく戸袋なしとしている。また当初ドアは鋼製ドアであったが、後年ステンレスドアに交換された。

運用等

新造時

1966年の北習志野~実籾間開業時は2両編成3本が新造された。この時の運用は2本で予備が1本しかなく、検査や故障等で車両が不足した時には、京成から車両を借り入れるなどして対応していたという。

冷房化

1970年代に入ると、他社でも冷房付車両の導入が進んできたことから、1000系に対しても冷房化改造を行うことになった。冷房化は1975年から1978年にかけて行われ、MG(3~4両までの給電に対応)や冷房装置(AU75)の搭載、車体補強の実施などが施工された。

これらの改造により、約3tほど重たくなったが、モーター自体に余裕があったので、限流値を上げて加速力を維持している。

新造は6両のみに

1981年の幕張延伸時には1000系を新造する話もあったようだが、今更1000系を追加新造するのもどうかということで、各部を設計変更した2000系を新造した。ただし2000系のモーター・ギア比は1000系と共通であり、性能は揃えられている。

なお、総武快速線が幕張駅に止まらなかったこともあり、この時点では大幅な利用増を見込んでいなかった。そのため増結は行われず2両編成のままとされた。

利用者増加と淘汰方針

ところが幕張延伸が起爆剤となり、東京・千葉方面にある程度アクセスしやすくなったことに加え、武石や長作地域の開発が進んだことから利用者が急増した。これに合わせて2000系の増備や3両化が行われた。

一方、1000系は2両編成のままとされたが、この時点で新造から20年以上が経過し、将来の都心延伸時に10両化する際、6両しかいない1000系は残すよりも淘汰した方が得策と判断され、新造から30年ごろを目処に置き換える方針としていた。

3両化

この頃になると、肝心の都心乗り入れが頓挫するようになっていた。また利用者が増加したといっても3両編成の電車を頻発運転すればどうにかなるレベルであり、10両運転には程遠かった。

そんな中、1996年にダメ押しの増発をすることになり、毎時12本から毎時15本に増発された。これにより、運用が2本不足したが、1本は3000系の増備で、もう1本は1000系の3両編成化で賄った。

手順としては、3000系を3本新造し、1000系2両編成3本が離脱。この内のデハ1001、デハ1502、クハ1503の3両を残存車両として3両編成1本を組成、残りは廃車とした。またデハ1502については運転台を撤去し、完全な中間車とした。

「なんともケチなことをしたな」という印象はあるが、増発自体は急遽決まったもので、最小限の投資とする意図があったようである。

  • 組み替え前
    • デハ1001+クハ1501
    • デハ1002+クハ1502
    • デハ1003+クハ1503
  • 組み替え後
    • デハ1001+デハ1002+クハ1503

余談だが、1000系の場合は各車が同時に新造されているので、差異が少なかったようで、どの車両を残すか決めかねていたようである。結局、下一桁の番号順を揃えたら面白いということで、上記のような編成が組まれた。

引退へ

以降3両編成1本のみが残存した1000系であるが、唯一の塗装車となったことで、足回りが2000系と同じでも取り回しに難が出てきた。

そのため、2003年に4000系の新造で置き換えられ、引退した。

現在

記念すべき初代の車両ということで、トップナンバーのデハ1001が車両基地に保存されている。

  • 最終更新:2017-06-14 11:57:15

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