作者メモ
思い付いたことをいろいろと
リンク?
- メモのメモ
リンク集追加 (2022/01/24)
色々マンネリ化していて他架鉄からヒントを得たいのと、他架鉄サイトの今を知りたくなったので、まとめがてらリンク集を作成。ポータル系サイトはとりあえず列挙。ちゃんと探していないので、もしかしたら他にもあるかも。
でもリンク集を作ったら、「前から知っているサイト」の羅列になってしまった。なのでマンネリからの脱却は当分無理ですね(いいと思ったら採用するけど、なければ現行のやり方で行く)。ただ第二目的は達せられたのでよし。
ところで、架空鉄道サイトを片っ端からリンクしていたサイト「架空鉄道ジャンクション」が2020年3月に更新終了して2年になりますが、そのジャンクションにある後継サイトのリンクを開いたら、なんと404 Not Foundの表示が。「なくなったんかい!」と思ったら、実は移転していたんですね。
あとは「片っ端からリンクしていた『架空鉄道ジャンクション』の後継サイトが、登録制の『架空鉄道ターミナル』でいいのか?」とか、「実質的な後継サイトは「架空鉄道リンク」だよなあ」というのは思わなくはないです。ないですが、それは当事者が決めるべきことなので、自分からやり方に口を挟むつもりはないです。
ともかく、自分はめんどくさがり屋なので、こういうのが出来るのは素直にすごいと思います。
なお、自分は今中山電鉄を作成中です(近況報告) その内投げ出すかも。
妖怪1足りない (2021/07/17)
小名浜線の405系投入数は4連2本と2連7本ですが、総車両数は22両(2連11本相当)。運用は2連10本(直通4連3本、線内4連2本)なのですが、4連が検査入場するだけでマイナスになるんですよね……。
まあ、そこは臨海鉄道から借り入れるというやり方もありなのですが、他線区から103系を借り入れる案をふと思いつくなど。まあ、それやると1ページ余計に書かないといけないのがアレなんですが……。
流れとしては、1989年までに405系で車両を揃えたものの、経年車ということもあり故障が頻発。予備車が2連1本だけなので、検査状況や故障編成数によっては所定4連を2連に減車しないといけない状況となるため増車を検討。しかし、1990年に入ると新型車両投入の検討が開始され、「今更405系改造車を投入?」という空気もあってか、繋ぎとして103系4連1本を借り入れる……という流れ。直流車でも線内運用なら問題ないですしね。
あと「101系書いたらとりあえず小名浜線は完成!」と思ったら(上の103系云々は置いといて)、実はまだ書いてなかった。残念(まあキハ38や臨鉄各形式もその内書きたいとは思うけれども)。
小名浜線が終わったら郡山地下鉄をやりたいですね(予定は未定)
つうかい電鉄削除 (2021/06/25)
最近ほとんど更新していなかったつうかい電鉄のページを削除しました。
小名浜線再燃? (2021/05/17)
江名延伸や国鉄・JRと臨海鉄道の直通も検討してみたけど、なんやかんやで泉~小名浜港の範囲となった。ただ下神白延伸はやるかも?
メモ
- 取り扱う範囲は1982年~現在(それ以外は知らん)
- 車両は101系→405系→E503系→E521系・E531系
- 単行のE109系や改造車等も一応検討中
- 小名浜港~下神白間を延伸するかどうか検討中(2021~2022年頃?)
通快ちゃんは郡山地下鉄をやり直したい! (2020/07/31)
今回はFC2wikiではなく別wiki(wiki3)にて作成。理由はなんとなく。
過去の状況を振り返ったところ、
郡山地下鉄(2018年11月?~2019年1月)→津田沼電鉄(2019年1月~2019年7月)→東金電鉄(2019年7月~2020年5月)→小名浜線(2020年5月~7月)→新郡山地下鉄(2020年7月~)
のような状況。旧版の郡山地下鉄、割とすぐに飽きてますね……(そして意外と長続きした東金電鉄。こっちも内容自体は途中でほっぽいてるけど)
意外な最長路線? (2020/07/28)
最近架鉄(特に小名浜線)へのやる気がナッシングな中、チマチマいじっているが郡山地下鉄2
路線を見ていてふと気付いたのですが、なんと最長路線が東西線(逢瀬公園~郡山~東部中央公園)だという事実
- 郡山地下鉄(計73.1キロ)
- 東西線(逢瀬公園~東部中央公園):16.5キロ
- 大槻線(大槻町~長久保):7.4キロ
- 南北線(高倉~笹川):15.2キロ
- 鶴見坦線(郡山~喜久田):10.4キロ
- 南川線(谷島町~大槻公園):8.9キロ
- 安積野線(宝沢沼~中央工業団地):14.7キロ
- 安積野線未開通区間:6.7キロ →安積野線全通後は21.4キロの予定
- 福島高速鉄道(計36.7キロ/参考)
- 北線(新二本松~高倉):17.2キロ
- 南線(笹川~矢吹中央):18.1キロ
- 空港線(南町~福島空港):9.2キロ
※2020/07/28時点
路線は色々いじくる可能性があるのでアレなんですが、最長の東西線は現状で固定。二番手の南北線も現状で固定。三番手の安積野線に関しては未開通区間を合わせれば最長路線に躍り出るのですが、一応は道路側の開通を待ってから開業予定なので、現状では東西線が最長で固定になります
このあたり、南北線の市外に出る分を高速鉄道に移管したり、猪苗代湖南部まで行っていた片平線を路線ごと切ったりした関係もあるとは思います(旧版)
あと路線延長で見ると73.1キロなんですが、これって名市交に次ぐ距離なんですね(参考)。まあ距離に関しては「身の丈にあった距離」にするつもりは全くなく、自分が造る架鉄はどれも「需要を満たす利用者がいるんじゃね?」的な態度です。それよりも作り切れるのかが自分の中では重要……作り切れるのか俺
ていうか北総鉄道が民営・準公営(第3セクター)の一覧に入っているんですが、アレは果たして地下鉄と言えるのかどうか(高砂~新鎌ヶ谷間だけ見れば地下鉄と言えなくもないものの)。一応、同協会の普通会員の定義では「(1)地下鉄事業を営み、又は営もうとする法人」「(2)地下鉄と相互乗入れを行い、又は行おうとする鉄道を経営する法人」とあり、後者の(2)該当するので普通会員入りしている(=一覧に入っている)のでしょうか(参考)
いろいろいじくった(2020/06/24)
- 路線関連
- JRと臨海鉄道の役割を明確化
- 泉~小名浜港(本線)、滝尻~二ツ橋(藤原川支線)、芳浜~西芳浜間(東邦亜鉛支線)の3線はJR線(第一種) →内陸部にあり臨港鉄道買収前より存在していたため。貨物輸送はJR貨物が第二種ですが、業務は臨海鉄道に委託。
- 芳浜~大畑緑地(ふ頭支線)、小名浜~四号ふ頭(新ふ頭支線)の2線は臨海鉄道線(第一種) →臨港鉄道買収後に成立した路線のため。旅客輸送はJRが第二種として運行。
- 新ふ頭支線を震災以降存続させるかはちょっと微妙(現状ではとりあえず残す方向で)
- JRと臨海鉄道の役割を明確化
- 車両関連
- 民営化以降第一世代:E503系、E109系、405系
- E503系(1997年登場?):いわき直通列車として導入。701系の足回りにE501系の車体を載せたような構造を想定。
- E109系(2001年登場?):17m級単行しか入線できない東邦亜鉛支線用として開発。E231系登場以降ですが、設計期間を短縮するため、ベースは209系。車両は単行5両程度?
- 405系:105系の交直流機器搭載版? 車両は103系からの改造。2連4本が改造され、当初はいわき直通列車として使用されるも、E503系登場以降は支線へ。更にE109系が東邦亜鉛支線以外にも投入されたため、支線からも追いやらる事態へ。余剰発生後は2連2本をジョイフルトレインへ改造。
- 第二世代:E531系、E521系
- E531系:日立~小名浜間の通勤快速代替のため導入。代替後は高萩発着列車と統合する形で水戸へ延長? ホリデー快速としても運用。当初小名浜向けには485系or651系6連を入線させる計画であったが、両形式の引退に加え、E653系も7連以下に短縮できないことから、E531系の一部指定席化を実施。小名浜線向けには5連2本程度を導入?
- E521系:E503系その他の置き換えを目的として導入。当初はE503系を機器更新させる計画もあったが、ワンマン化に伴う機器設置でかなりの手戻りが予想されたことから、新車導入により代替へ。東邦亜鉛支線の20m級2連対応も形式統一の一因である。E521系登場段階ではツーマンとしていたが、2020年頃?に車体側面に安全確認カメラを設置し、2~4両でワンマン運転を実施。
- 民営化以降第一世代:E503系、E109系、405系
- 走らせるつもりだったor走らせるかもしれない車両
- E653系:当初走らせるつもりだった。ただ、小名浜線運行再開時に広幅車(2950mm)対応としたのは良かったものの、両数を6両までとしてしまったため、7両のE653系が入線できない事態に。しょうがないのでE531系の一部を指定席化し対応へ?
- E503系(一部残存?):E521系ワンマン化改造時の予備及び存続が取り沙汰されていた支線分の車両として残留?(検討中) なんとなればE531系が予備でもいい希ガス
- ワンマン関連
- E721系500番台登場時(2007年?)には最大6両の都市型ワンマンを実施(ホームにカメラを設置し、ミリ波帯電波で車両側に伝送、運転席モニタに映像を表示)
- 2020年にE531系(東北本線黒磯~新白河)で都市型ワンマンを実施(車両側にカメラを設置し、映像を運転席モニタに表示?)
- かつてのJR東日本において、ワンマン運転は2両編成以下が基本であり、3両以上のワンマン運転は例外であった(3両以上ワンマンの展開が「公表」されるようになったのは少なくとも2019年頃から?)
- E521系登場段階(2015年?)においては、将来的な構想(計画?)として中編成ワンマン計画(3~6両)は存在したものの、E531系方式の技術は確立していなかったと思われる。
- したがってE521系登場時は全列車ツーマンor2両以下ワンマンにとどめ、2020年以降に順次ワンマン化していく方向か(他線でもそういう方針っぽい)
- E721系方式を導入しないのは地上側の機器設置が必要となるため
- 設備関連
- 2015年以前:狭幅・4両以下
- 2015年以降:広幅・6両以下
- 小名浜駅関連
- グーグルマップだと未だに更地でアレなんですが、モール西側にバスターミナルが設置されているっぽい。駅とかはそこに置いた方がいい感じか リンク
- この位置だとアクアマリンへのアクセスは小名浜駅でいいかな……
- 小名浜駅の副駅名を「イオンモールいわき小名浜・アクアマリンふくしま・小名浜高速バスターミナル前」にしようかちょっと迷った(やらない)
- その他
- 「郡山地下鉄をもう一度やりたいな」と思っている(やるなら路線を縮小……と言いたいけど、あまり縮小できなさそう)
小名浜線始動? (2020/05/17)
つうかい電鉄をどうするか (2020/04/16)
ほとんどやってないつうかい電鉄をどうするか
やってることは微妙に架鉄じゃないんで、こっちに移そうか検討中。あと車両関係は何を持ってるか把握していないので、その整理も兼ねてリニューアルですかね
移転完了 (2019/11/09)
予定よりも早く終わった。
移転していて思ったのは「島川電鉄も鵜原鉄道もどっかの架鉄のパクりだよな」ということ(あと島川電鉄は静鉄要素が、鵜原鉄道はい鉄要素が入ってる……気がする)。あと「進化」の過程で設定しなくなった要素もあって、その辺が新鮮だった(「7年前の自分はこんなことやってたのね」とか)。
なお、全記事の移転はしない予定(そこまでやるとキリがない)。「これ残してほしい!」と思った人は(そんな奇特な人はいないと思いますが)、各自でローカルに保存することを推奨します。
島川電鉄等移転開始? (2019/10/29)
ヤフーブログが2019年12月15日をもってサービスを終了するとのことで、一部作品を中心に当wikiへ移転中。しかし、コピペするだけかと思えば、いろいろ体裁を整えるのに1記事20分ぐらいかかっているというね……。
移転終了の目標は11月末まで。出来るかな?
ところで、2013年頃の総武通快さんはこういう架空鉄道をやっていたらしいリンク
うだうだ車両のことを書いているのは今と変わりませんが、島川電鉄なんかだと路線データに運賃を書いていたのが意外。あとナンバリングなんかもやってますね(2010年にナンバリングを導入した京成電鉄の影響?) あと架鉄とは無関係ですが、久留里線のキハE130形導入が2012年で「そんな前だったっけ?」となっていたり。
なお、ヤフーブログ時代も画像がないのは、当時ヤフーブログに画像をアップする方法が分からず、「じゃあ作らなくていいや!」となり現在に至るため。現在も現在で路線図は空想鉄道で代用できてしまうからなあ……(ただ、そのせいで架空世界設定の島川電鉄は再現できない模様。悲しい) いや車両のイラストがない車両系架鉄ってのも、結構致命的ですけれども
そんな過去の足跡がいとも容易く消えてしまうのがなんとも言えないところですが、まあ諸行無常ってやつですよね。それもまた任侠(それっぽい言葉を並べて〆る)
東金電鉄を新設 (2019/07/21)
東金電鉄を新設
結局習志野 (2019/01/27)
やる気が続く限りはこちらで更新するつもり
習志野電車を再開すると言ったな? あれは嘘だ (2019/01/19)
習志野架鉄は何というか形がまとまらない
以下、アイデアを雑多に書き連ねたもの
路線形態
以上3つを別個にしていきたいなと思いつつも、その辺の整理ができていない。「習志野架鉄集」みたいな形で別にwikiを立てるべきか
車両
- 銀座線1000形
- 1C3Mコントを新調し無理矢理1500Vに対応
- 京成750・2250形譲渡。まともな車両と見せかけて、黎明期の高性能電車(て言い方していいんだろうかあの電車は……)特有の特殊機構にゆえメンテナンスに手を焼いた車両
- 京成3500形注文流れ導入車
- 1975年頃の経営悪化で、同年に増備する予定だった車両を急遽引き取ったもの。以下の車体更新T車と組み合わせるため、原則Mc又はMで新造
- 銀座線1000形台車再利用車
- 車両導入等により余剰となった車両は、台車のみ再利用し車体を新製して、再整備したもの
- 新京成45形・300形等
- そのまま導入or台車のみ使用
- 旧形国電のモーター(MT40等)を使用した車体更新Mc車?
- 京急600形
- 京急700形
- 京急旧1000形
- 京成3050形・3100形
- 京成3200形と3500形のニコイチ電車(2000年代)
- 3500形は車体がセミステンレスで更新の必要がある一方、3200形はミンデン台車でメンテナンスができないなどの問題から、3200形の車体に3500形の台車を履かせたもの
- 京成3200形ワンポイントリリーフ車
- 3200形は(習志野電車では)台車のメンテナンスができなかったが、それはあくまでも検査等で台車をバラして再度組み立てる時の話であり、日常使用ではメンテナンスがほぼいらなくなるなどのメリットもあった。そこで「(次の全般検査までの)8年もてばいい」という思想のもと、3200形が導入されることになった。なお、重要部検査のみ京成で行っていた。
- 京成3300形(金属バネ台車車両)、京成3500形
ここに作りかけの架鉄があるじゃろ? (2019/01/13)
郡山地下鉄が進まなくなった一方で、習志野の架空鉄道をしたいと思って検討したところ、習志野電車を再開することに。鉄道化以降の車両が未定なので、実質初めてやるようなものですね
なお習志野電車を選んだ理由は、路線が1本のみでシンプルだからです(あと前述の通り手付かずだったのも)
西武601系 (2019/01/13)
Wikipediaで[[西武601系:https://ja.wikipedia.org/wiki/西武601系電車]]について読んでいた。なかなか恐ろしい車両で、車体は新造、モハは国鉄ベースの足回りとしているものの、なんとクハの足回りが新造ではなく旧式の台車を履かせていたという……。
ソースはありませんが、一般に鉄道車両は、車体が安く、台車や走行機器が高価と聞きます。電装品(モーターなど)は銅のかたまり(高い)ですし、台車も鉄道車両特有の部品ですので、高価となるのはやむを得ないのでしょう。一方、車体は鉄板(アルミとかもあるけど)を組み合わせたものなのと、基本車体内部はほぼ空間なので体積の割に安くなるのは容易に想像できます。西武鉄道では601系導入前に、国鉄から払い下げられた旧式の台車を整備しつつも、車体だけは新造していたそうですが、見識を感じます(もっとも、いわゆる「車体更新」は西武の専売特許ではなく他の私鉄でも行われていましたが)。
これから始める予定の架鉄で、1960年代あたりの「ケチな車両」を考えていたのですが(郡山地下鉄どうした)、いろいろと参考になりそうです。
そういえば (2018/12/30)
千葉高速鉄道なんてやってたなあと。「またやってもいいかな?」と思いましたが、今は郡山地下鉄の気分なので、まだやるべきときではないですね。やったりやらなかったり放置だったりだけど、なんだかんだ「悪くはない」ぐらいには思ってたんですね俺
こちらも再開したら船橋電鉄や郡山地下鉄同様移転を考えているものの……。実際に移転するかはその時にならないとわからねえな
見ている人がいるのかは知らないけど (2018/12/30)
郡山地下鉄の移転先です。訳あってTwitterでは一切宣伝しない方針なんですが、「このwikiに来た人への最低限のもてなし」ということで、リンクぐらいははっとこうかなと思いました
……と書きつつも、船橋電鉄の時は全くそんなことをしていなかったので、今更リンクを追加
快速運転 (2018/12/19)
快速運転をしようとなると、各駅停車については退避込みの時間としなければならないので「めんどくさいな」となっている。自分の決めた停車駅や所要時間が妥当かはさておき、車両数を算出するにはどうにかして所要時間を割り出さないといけないのがね……
あと南北線の形式メモ
- 1965~1970年新造→1000形(普通鋼・抵抗制御)
- 1973年新造→1100形(セミステンレス・抵抗制御)
- 1976~1979年新造→1130形?(仮称、セミステンレス・AVFチョッパ)
- (未定)
- 1993年新造→1300形(軽量ステンレス・GTO-VVVF)
1100形ではセミステンレスとして塗装費用削減や軽量化などを狙ったものの、高速運転やチョッパ制御の試用も兼ねて次期形式ではAVFチョッパに変更。結果1100形が1973年度のみの新造となり、両数もおそらく数十両程度となることが見込まれた。そこで形式数を極力増やさないためにも、AVFチョッパの次期形式車は1100形XX番台(11XX形)として区分した……みたいなお話。
広幅にすると (2018/12/15)
東西線とその他20m路線で車両を共通仕様に出来ないことに気が付く。
あるいは、
東西線→狭幅
その他路線→1990年代まで狭幅で、標準車両が出た頃合いに狭幅化
となるのか。この場合は旧式車と特急除いて狭幅ですね
他には
- 空港特急をどうするか
- 鶴見坦線⇔磐越西線直通列車の設定、E531系8000番台?
- その場合の1200形の処遇(転用先、更新の有無)
- 南北線向け1000形、1100形の投入両数
などなど
そろそろ車両を考えたい (2018/11/29)
空想鉄道復活してた
郡山地下鉄ですが、路線網が広すぎるのでなかなか車両に着手できないのがね……(一応路線の設定を固めてから車両に移ろうと考えている)。一応東西線に関してはほぼ確定、片平線は観光鉄道時代の車両はある程度構想しているので作れそう(逆に地下鉄車両は他路線と共通化したいので他が確定できないと作れない)、富田・安積野線は車両数を算定すれば作れそうな感じなので、路線作成を脇に置けばできそうではある。
郡山地下鉄始動 (2018/11/26)
だいぶまえに作った郡山地下鉄をいろいろ書き換えてコンテンツにしてみた。なお空想鉄道がメンテナンス中なのがちょつと……(あっちに路線データ全部置いてあるので、ちょっと困ってる)
ちなみに船橋電鉄ですが、別サイトで動かしてみた。完成してないけど、8割方できたのでいいか(適当)
船橋電鉄 (2018/06/02)
「路線のアイデアはポンポン出てくるのに『一つの架鉄』としては続かない……」という感じなのが(アイデアが出ないよりはマシなのかもしれないですが)
それはそれとして、船橋電鉄(前に作った船橋急行電鉄とはまた別)を起こしてみました。こちらにしても当初は「船橋版遠州鉄道を作ろう!」というつもりだったんですが、高根台や古和釜方面に線を分岐させたら全然違う路線になりましたね……。まあその分だけ車両数も増えているのでいいか?(船橋~小室間だけだと6両×6本+予備ですが、八栄橋~車方を加えると4両×6本を増やせる)
習志野電鉄R その2 (2018/02/22)
「戦前の車両がまるで思い浮かばなくてダメかな」と思っていたんですが、戦前は非電化だったことにして、その辺をうやむやにすることにしました。あと全線3両編成にすることにしました。
習志野電鉄R (2018/02/17)
そんなこんなで習志野電鉄のリメイク版架鉄「習志野電鉄R」始動。例によってまたそのうち飽きると思いますが、せいぜい飽きるまで楽しんでいくつもりです
思い返せば、習志野電鉄に似たような路線を何度か考えている(ちばジェイサイドライン、シン・習志野電鉄)あたり、未練があるのかなと思ってます
ちなみに同じ「習志野」を走っていても、習志野電鉄由来ではない架鉄もあって(少なくとも自分ではそう思っている)、習志野電車とかそっちの方は習志野都市高速鉄道由来ですね。「『習志野電鉄』と『習志野都市高速鉄道』の違いはなんだ」と言われると、自分でも分からないところはありますが、「三山~実籾間を経由しているかいないか」になるのか。いや、実籾駅から北に続いていく旧道(?)っぽい道が好きなんですよ。あそこに架鉄を通したい(そして習志野電鉄Rを一定レベルには形にしたい)
この他、習志野電鉄で不満だった部分として、薬園台がターミナルだったことで……。新京成が戦後開業というのは承知で、戦前の開業時には成田街道にでも引っ付けて、新京成が出来てから薬園台まで伸ばせばよいと考えていました。しかし、津田沼以外であの地域の中心となると、二宮村役場(現在の二宮出張所)とかになるんでしょうが、そこだと薬園台と遠いし、成田街道を二度越えないといけないということで悩んでいた部分でもありました。結局、新京成にしろ京成にしろ、比較的後にできる(京成線津田沼~酒々井間開業が1926年)ということもあり、自前で津田沼まで延ばすことにしました(思い返せば、新京成・京成依存の路線の癖に、車両面等で両社から独立志向があったのも違和感があった部分か)
また幕張まで伸びているのは、かつて実籾と幕張は同じ町(幕張町)だったためで、「それなら実籾の人間は幕張の方に移動するわな」と考えたためです。その結果、津田沼から幕張まで大回りする結果となっていますが……(総武線が4.9キロ、習志野電鉄が9.7キロ)。まるで鉄道連隊みたいだ
なお、車両をどうするかは全く決まってないんですけどね。決まっているのは、二宮幕張線と東習志野線を2両、大久保線を3両とすることのみ
郡山観光電鉄の車両メモ (2018/02/01修正)
- 須賀川線(1435mm、18m級3ドア、最大3~4両)
- 1912年:1形(路面電車的車両)
- 1926年:30形?(1形置き換え用の「鉄道化」した車両)
- 1931年:50形?(増備車、電動カム軸制御を採用)
- 1941年:150形(登場時は制御車の2ドアセミクロスシート車。当初クロスシートとして登場したが、時勢によりロングシート化された。また電動車・100形を新造してペアを組ませる予定だったが、諸般の事情により制御車・150形のみのデビューとなった)
- 1946年:200形(少数ながら新造)
- 1948年:300形(運輸省規格型、16m級3ドア)
- 1952年:500形(制御車、全金属製、17m級3ドア)
- 1953年:架線電圧を直流600Vから直流1500Vへ?
- 1954年:700形(MT編成・TD駆動の車両、17m級3ドア)
- 1967年:郡山急行日和田線開業、800形新造(18m級3ドア、2両編成?)
- 1972~1973年:750・780形(京成750・2250形を購入した車両、つりかけ車を置き換えへ)
- 1975~1978年:800形増備車(冷房付、18m級3ドア、3両編成?)
- 1990年:猪苗代線から車両が転属(元2000系)、空港延伸による新型車両として使用?
- 1993年:福島空港延伸、900形を新造?
- 1998~2005年?:京浜急行700形(二代目)を購入?
- 2004年?:100形新造(18m級、VVVF車)
- 猪苗代線(1067mm、20m級2~3ドア、最大6両)
- 戦前に軍用鉄道として開業したが、レールは終戦直後に払い下げられたため、レール・枕木等は自前で調達する必要があった。
- 1953年:郡山~大槻町間開業、1000・1500形(つりかけ/17m3ドア/2両編成/ロングシート)を導入
- 1961年:大槻町~湖南温泉間開業、1100・1600形(カルダン/20m3ドア/3両編成/ロングシート)、2000系(カルダン/20m2ドア/3両編成/セミクロスシート)
- 1967年:国鉄線からの電車列車乗り入れ開始
- 1960~1970年代?:宅地化の進行により1100・1600形を追加新造
- 1971年:457系ベースの車両、3000系を新造(3両編成2本)
- 1973年:オイルショックによるマイカー控えから利用者が急増。中古つりかけ車を追加導入して1000形の増結に充てられた。また国鉄乗り入れに備えて6両にしていたホームを活用する形で、自社線列車でも6両運転を実施
- 1979年:つりかけ車置き換えを目的として5000系を新造(20m3ドア/3両編成/セミクロスシート)。なお、後に1100・1600形の余剰車両を組み込み4両化したり、はたまた併結したりで6両編成を組むこともあった。
- 1987~1989年:特急用の7000系を新造(20m2ドア/2両編成/転換クロスシート)。観光電鉄としては普通列車にも7000系を用いる予定だったらしいが、さすがに混雑に対応できないことから、特急置き換え分のみの新造で終わった。なお、置き換えられた2000系は、車体新造・走行機器流用・1435mm台車への履き替えにより、須賀川線に転属
- 1995年代時点では、3000系(JR線乗り入れ用)と5000系、7000系の陣容となる。またJRで余剰となったサハネ581形式1両を購入し、3000系の中間に挟んで運用したこともあった。
- 21世紀に入った後も、3000系は臨時昼行列車「いなわしろ」や臨時夜行快速「ムーンライトいなわしろ」として堂々上野駅に乗り入れることもあった。しかしこの頃に入ると、アコモ改良でリクライニングシートにしたとはいえ、老朽化が隠せない部分も出てくるようになった
- 最終的にJR線内での同系列車引退もあり、2008年をもって乗り入れが終了した
- 2019年には地下線移設により、5000系の置き換えが予定されている。また7000系はリニューアルにより、継続使用する予定だという
千葉高速、熱入らず? (2017/11/28)
千葉高速は完全に飽きたという訳ではないけれど、停滞している内に郡山観光電鉄という、新しいおもちゃに夢中になったという感じです。俺の場合、飽きる前に走り抜けろって感じなのか
とりあえず車両規格については、須賀川線が18m級3両・標準軌・直流1500V、猪苗代線が20m級6両・狭軌・直流1500V(ただし現在は6両フルでの使用は臨時含めてなし)というのは決まっています。ただ須賀川線の車両がねえ……なかなか「これがいい」ってのがない。猪苗代線の方は「1989年製造、軽量ステンレス、2ドア転換クロスシート、MT61で5.19、MT編成」みたいなのは決まっているのですが(「213系じゃん!」とは突っ込んではいけない)
なお、以下が作成までの経緯を羅列したものになります
- なんとなく郡山周辺の地図を眺めていたら、なんか路線が浮かんでくる
- 郡山~須賀川間の路線とか行けそう?
- 川東まで延ばして、「末端の須賀川~川東間が存廃問題が浮上してる」という設定いいよな
- 川東から6キロぐらい延ばせば福島空港じゃん……。でも6キロって少し長いよね
- うーん……(脳内会議) ええい延ばしちゃえ(→須賀川線に)
- 軍用道路(現・うねめ通り)なんてあったんだ。どこぞの習志野市みたいですな
- これを鉄道化して、戦後に観光目的で磐梯熱海まで延ばしたとかよさそう
- でも須賀川線を福島空港まで延伸すると結構な距離だぞ……。こっちの路線いらねえかなあ、あと磐梯熱海だと磐越西線と被る
- あっそうだ、観光電鉄系でやってみたい車両があったんだ。やろう。路線も目的地を猪苗代湖の裏側にしておけば被らないし、ルートもほぼ真っ直ぐになる(→猪苗代線に)
千葉高速2 (2017/11/06)
千葉高速をガンガン更新している現状に合わせて、千葉高速を「作成中のもの」に、その他気まぐれで不定期更新しているもの(空想鉄道で作ったものなど)を「ゆるゆるやっていくもの」に移しました。
あと「千葉高速の世界には千葉都市モノレールは存在しない」という方向でいろいろ進めています。これには三つの理由があって、一つ目はモノレールを存在することにすれば真っ直ぐ千葉に行けず、真っ直ぐ千葉に行くにはモノレールを存在しないことにする必要があったこと、二つ目は現実のモノレールに関する情報を漁っていると「無くてもよかったんじゃね?」みたいに思ってしまったこと(とはいえ幼い時に千葉モノの存在感に圧倒されて感傷的な部分があるのもまた事実なんですが)、三つ目は「この世界の千葉モノは現実のものと路線が違う」と「この世界に千葉モノは存在しない」では後者の方が説明として圧倒的にシンプル、といった理由からそういう風にすることにしました
「無理に千葉に行かなくてもよくね?」と思った人もいるかもしれませんが、無理せず千葉に行かなかった(稲毛をターミナルとした)結果、一回千葉高速がコケたのでね……。千葉まで通したのは意地です
千葉高速 (2017/10/31)
千葉高速鉄道はネタが出たり出なかったりなので、メニューに新規カテゴリ「ゆるゆるやっていくもの」を追加
南海電鉄の試作チョッパ車(1本のみ新造、後に抵抗制御化)が萌えたのと、「千葉県の三セクと言えばセミステンレス車に界磁チョッパだよな!(それ北総と住都公団だけだし、そもそも千葉高速は県営鉄道でスタートなんじゃなかったのかい? 総武通快君)」ということから、車両面ではそういう感じの流れを検討中です。抵抗制御と電機子チョッパ制御は同じ直流直巻モーターを使用しますが、チョッパの方では回生ブレーキを使用する関係でモーターの特性が異なるんですよね。そのあたりもうまく絡められたらなと
なお、習志野電車はどういう感じの車両にするか忘れたので、当面は更新終了扱いとします。ダメじゃん!
LRTはまた別架鉄で (2017/9/20)
いろいろなアレやソレを考えたら、別の枠組みでやった方がいいかなと思った
津田沼LRT線 (2017/09/18)
現代の習志野市にLRTを敷くとなると(2013年頃開業を想定)、こういう形態になるのかな……。なお屋敷から先は幕張本郷や鷺沼台への延伸も考えたものの、うまくまとまらないので棄却
不要不急線 (2017/09/16)
そういえば戦時中には路線が複数あったり複線だったりして、片方の路線や線路が剥がされたことがあったようですが、習志野電車の場合は3線存在してたことになるようです。一つ目は京成、二つ目は鉄道連隊線、三つ目は習志野電車。京成は広域の鉄道なのでセーフ(現実でも「津田沼~大久保間を廃止せよ!」なんてのはなかった……はずだしな)、鉄道連隊線は軍事目的なのでセーフ、じゃあ習志野電車は……? 軍の威光を借りようにも鉄道連隊線が既にあるし、そっちが近いので無理ぽという。
まあ不要不急線に指定・廃止されたからといって「戦後に復活しちゃいけない」という訳ではない(むしろ現実の大久保界隈は戦後に鉄度連隊線の活用を訴えていたらしい)ので、普通に復活させていいんじゃないかと思います。むしろその方が習志野電車の趣旨ともいえる「軌道から高架新線へのアップデート」が容易に図れるんじゃないかともいう。
なんですが、戦後にレールの生産を再開したのが戦後しばらくしてからというのと(何年か忘れた)、払い下げを狙おうにもレールを生産してないので当然競争が激しかったという話があったそうなので……あんまり適当に設定できないのです。戦後すぐに開業した新京成も、レール枕木を西武に譲り渡した上でのスタートなので、茨の道だったそうなのです。まあ津田沼~大久保間は2キロ弱の路線なので何とかならなくもなさそうなんですけどね……。
作りたい架鉄が作れた (2017/09/13)
習志野周辺の架空鉄道はいろいろスタイルが定まらず、試行と放棄の繰り返しでした。とりあえず、路線面に関しては習志野電車で納得いくものができたかな、という感じです。あとは車両面を詰めていくだけなんですが、こちらに並行して習志野都市高速鉄道というのもやっているので完成できるかどうか……。もちろん期限はないし、「空いている時にこっちをやればいいじゃん?」というのはあるけれど、期間が空くと設定を忘れたり、熱意がなくなったりで面倒なんですよね……。まあうまくやっていくしかない
え・ん・し・ん・し・た・い (2017/6/25)
2003年ぐらいに白井に延伸しようかとおもっていますが、そうすると車両を造らないといけなくなるんですよね……なもんで4000系を1本だけの存在から増やそうと思ってます
孤高の存在ではなくなるものの、重要な要素という訳でもないので変更します
ジェイサイドラインの予定 (2017/6/18)
7月に6000系2本目投入、秋頃に4000系機器更新みたいなスケジュールでやろうかと思ってますが、予定は未定。
あと、J-SIDEラインの車両搬入は1981~1996年(2000系や3000系導入時)のものが抜けてますが、それはおいおい。「幕張」という地を生かしていろいろやりたいかなとは思いますが、そろそろ画像を使わないと説明が大変そうなので、今は後回し(前にどこかで書いた気がするけど、スマホからだと画像がアップできないのよね……そして俺は今PCを持っていない)
J-SIDEライン (2017/6/8)
これが自分の中で一番しっくりくる
そしてまあ、いろいろあって千葉高速でも進めようかと思ったんですが、設定資料が散逸していて、今更組み直す気にもなれなかったんですよね……(と言いつつ路線の拡大を追加してますが、これは記憶や何やらから組み立てられた)
そんなわけで今後はJ-SIDEラインをいじっていきますかね
千葉高速の車両再考(2017/5/30)
- 1100・1600形
- つりかけ車
- 2000系(1968~1978年)
- 普通鋼・抵抗制御車・コイルバネ台車
- 3000系(1979~1982年)
- アルミ・チョッパ・Sミンデン
- 2000系再増備車(1983~1985年)
- セミステ・抵抗制御・Sミンデン
- 4000系(1986~1995年)
- 普通鋼・界磁添加励磁制御・ボルスタレス台車
- 5000系(2001年~)
- 軽量ステンレス・VVVF・ボルスタレス台車・2M4T
とりあえず(2017/3/9)
あまり長いとアレなので、ページ名は「Jサイドライン」で行きます
決まらぬ名称(2017/3/7)
とりあえずジェイサイドラインをスタートさせました。
北習志野~実籾のあたりを見て気づいた方がもしかしたらいるかもしれませんが、実は習志野電鉄のリメイクなのです。まあいろいろと未練があるのですが、本題から外れるのでそれはともかく。
で、本題。一応社名は「ちばジェイサイドライン」ということで決めたのですが、「ジェイサイド」とカタカナ表記だとどうしても「ジェノサイド」が脳裏に浮かんできてしまうのですね。なので「ちばJサイドライン」というのもありなのかもしれないと思った……けどこれもそんな変わらんな。
なお、ページ名が「ちばジェイサイドライン」ではなく「ジェイサイドライン」と、頭の「ちば」を省略したのは、なんか蛇足感があったからです
整理するとこんな感じに
- 社名は「ちばジェイサイドライン」
- (正式な)路線名は「習志野開発線」
- 案内上の名称は「ジェイサイドライン」
- ページ名は「ジェイサイドライン」
うっわ、統一性が全くねえ……
ただ、このままだと名称がいつまでたっても決まらなさそうだし、「ちばジェイサイドライン」にしますかね……そういうわけで、もしリンクを貼られる奇特な方がいらっしゃいましたら、リンク名は「ちばジェイサイドライン」でお願いいたします
ブログで架鉄をやってた時にも思ったけど(2017/3/1)
一発ネタが合ってるのかもしれないなと
話が二転三転してますが(2017/1/22)
千葉高速鉄道の更新は当面保留とします。こまごまとした修正(下に書いたデータベースとしてまとめるなど)は気が向いたらするかもしれませんが、車両や路線などのコンテンツを新規に作る予定はないです。
代わりとして息抜き系架鉄を二つほどやろうと思っています。一つは空想鉄道で、これは作成したら随時こちらに反映していきます。もう一つは総武通快電鉄(仮称)で、所持しているNゲージの紹介をしていこうと思います。家中鉄道の後継的なページですね。
ただ、現在PCが壊れていてスマホから更新しているのですが、FC2wikiの画像アップロードとホームページの更新はパソコンからでないとできないみたいなのです。また代替及び修理の目処は立っていないため、当面はこれらができない状況です。まあ画像の方はアレしてコレすれば何とかなりそうなので、そこまで問題にならないかなとは思っています。
まだやる気は残っていた(2016/12/31)
新しい架鉄はやる気になれなかったので相対的なものかもしれませんが、「やれそうなものからやろう」ということで駅一覧(千葉高速)を新設しました。でも路線も年表も駅も大した情報量はないし、一つのページ(データベース?)にまとめてしまっても良かったのかもしれない。まあそのあたりはその内に。
脇に置く(2016/12/29)
習志野都市高速鉄道で京成の旧形車両を調べていた関係で、「京成の中古車を受け入れる系の架空鉄道とかいいよな……」と思ったのですが、千葉高速鉄道は1067mmでやると決めたのでそれはできないよなという。あと千葉高速自体自分の中でいろいろ冷めてきた。
じゃあ新たに何かやるのかと東金電鉄あたりがいいんじゃないかと思いましたが、正直二足わらじはきついし、結局両方更新ってできてないよなということで、こちらは一旦脇に置きます。
まあ以前からこちらは放置しているので、実質的には現状と変わらないのかもしれないのですが、「あれもやらなきゃいけないこれもやらなきゃいけない」は(自分の中で)いろいろと負担になるので、その整理のためにここに書いた次第です。別に誰かに向かって言ってるわけではないです。
自分のペースでやるのが一番 (2016/12/24)
現状は習志野都市高速鉄道の方へ優先的にリソースを割いているのでこっちがあまり更新できていませんが(あっちもあっちで楽しい)、その合間合間にやってきます(恒例のやるやる詐欺)
なもんで、自分のコンディション、抱えているタスクなどを見つめながら、ゆっくりとやっていきたいと思いますです
千葉高速の車両 (2016/12/11)
最初の車両は国鉄からの譲受車(1100・1600形)、次の車両は鋼製車体・抵抗制御の新造車(2000系)、その次の車両はアルミボディ・電機子チョッパ制御の新造車(3000系)とまでは決まりました。
ではそれ以降をどうするか。3000系がアルミにチョッパなどという高価なシステムを採用したのは、県営鉄道が通勤電車の理想を追い求めたためではないかと思います。
しかし、県営鉄道では路線延伸が進んできた1970年代を境に利用者が急増。その急増していた最中に3000系は新造されていました。利用者増加は車両数新造にも表れており、2000系が1968年から1978年の11年で48両しか新造されなかったのに対して、3000系は1979年から1982年の4年で30両も新造されました。両数では2000系が上ですが、年あたりにならすと2000系は年4.4両、3000系は年7.5両となり、倍ほどの差があります。
結局3000系は30両で打ち切られ、以降は安価な方式の回生車が導入されるのだと思います。
そしてこの「軽合金車体と半導体制御は高価」というトラウマをズルズル引きずり、21世紀に標準車両が登場してもなお「鋼製車体に拘ろうとした」となると面白いのかなと思いました。……とはいえ、そこまで行くとメーカーから「いやいや今は軽合金もそこまで高くないから」みたいになるのかもしれないのですが。まあこのあたりは検討中です。
そんなわけで「自分の架鉄史上初の界磁チョッパ制御を導入するかも?」という話でした。つい最近まで国鉄・JR準拠で車両を考えていたので、私鉄系のシステム(と言っていいのか知らないけど)を入れたことがなかったのよね……。
- 最終更新:2022-01-24 02:35:29