国鉄存続架鉄

はじめに

1987年に分割民営化された日本国有鉄道が「分割も民営化もされずに続いたら」という架空鉄道。政治・歴史の話はスルーし、車両面(更に言えば通勤電車)に絞っています。社会情勢等は史実ベースで、視点は「国鉄が存続したという世界での現代(2018年)」としています。書きかけです。

1987~1990年

関東地区

1987年以降も引き続き205系や211系の投入が進められていた。基本的にはこれまで投入していた山手線、東海道線などに投入している。1M版の213系(MT64)が開発されていたが、後述する関西地区とは異なり、基本的に関東地区では205・211系(MT61)が使用された。これは、関東地区の電車が基本的に長編成でありMM'ユニット方式の形式で事足りること、更にはメンテナンスの観点からモーターを統一したいという意図があったためである。

なお横須賀線にも211系を導入する計画もあった。しかし、MM'ユニットを多めに組み込んだ6M5T(8M7T)では性能過剰、逆に4M7T(6M9T)では性能不足、かといって1M用を別に配置すると車種が増えるという問題もあった。このため、横須賀線向けには当時開発中であったVVVFの実用化を待つことになった。VVVF車は過負荷に強く、4M7Tでもトンネル出口の急勾配を登れる目算があったためである。

関西地区

当初は113系非冷房車等の代替として211系を関西地区に配備され、1987年には網干に7両編成4本、奈良に6両編成3本が配置された。しかし、大阪鉄道管理局などからの強い要望で、関西地区全域に転換クロスシート車を導入する方針に転換され、後述の215系投入により211系は配備数年で関西地区から撤退した。撤退した211系は中間車等を組み込んで10両+5両として、田町電車区に転属した。

この新快速車両は「215系」と呼称され、基本的には211系の3ドア・転換クロスシート版の車両である。117系では2ドアであったのが、215系では3ドアに変更されたのは、ラッシュ時等に乗降に時間がかかっていたためである。また215系が211系とは異なる点として、1M車の設定が行われていること、MT比1:1を原則としていることである(関東の211系はMT比2:3)。1M車設定については、将来的に広島や岡山等の短編成を用いる路線への転用を見越していたことが挙げられる。また1M1Tとしたのは、MT61・MT64が電流値いかんでは2.5km/h/sへの設定も可能であり、競合する並行私鉄への対策があったためともいわれる。

この215系は東海地区にも導入され、後の「新快速形」を確立した形式ともいえる。

東海地区

関西線名古屋口のテコ入れとして、215系が新製配置された。また、東海道線金山総合駅開業による新快速増発のため、増備が行われた。

名古屋鉄道管理局では、中央線103系で4ドア、各線113系で3ドア、新快速で2ドアと、各車両でドア位置が不揃いであり、乗車位置案内に苦労していた。そこで、長期的には関西地区と同様に3ドア・転換クロスシート車両に統一する方針を立てた。しかし、転換クロスシート車だと中央線で混雑の問題があったため、当面は中央線向けのみロングシート車を導入することになった。

初期には211系0番台車(4連2本)が導入されたが、1988年以降は東海地区向けに設計変更された「211系5000番台」が新造された。当初は、温暖地域かつロングシートということで2000番台の割り当ても考えられたが、関東地区にはないクモハを組み込む必要があり、番号管理上不都合であったことから、新たな番台を立てたという。また東海地区の211系は5000番台に統一することになり、211系0番台は1000番台化し5両編成2本とした上で(付随車は2両新造)、新前橋電車区に転属した。

1991~2000年

全般

1990年代初頭までは直流モーターの205・211系の新造が続けられていた。これはVVVFに各種のメリット(メンテナンスフリー化、高回転化による最高速度向上等)があることは知られていたが、その一方で半導体製品ゆえ高価という問題を抱えていたためである。しかしながら、このデメリットはMT比低下を行えば価格上昇を相殺できるとして、各線への導入が進められることになる。

207系0番台
京葉線東京延伸に伴う増備として、10両編成12本が新造された。千代田線向けに一旦試作された900番台を量産化のために設計し直した番台であり、地下区間を走行する車両ながら、4M6Tに設計変更された。これは、営団では1ユニット(10連抵抗車なら6M4T、チョッパ・VVVFなら4M6T)で不動の他編成を押し上げるという、大変厳しい条件で設計・協定が組まれていることによる。国鉄ではこの条件を緩和し、1Mカットの満車条件で勾配を登るという条件としたため、このような芸当が可能となった。また一部の205系は増圧ブレーキを取り付けて110km/h対応としているが、207系は4M6Tでも同等の性能で走れることが試験で確認されている。更に207系は1C4Mとしているため、低MT比で制御器故障が発生した場合でも、MM'ユニット車に比べて少ないM車を開放すればよいので、その点のメリットも確認された。VVVF車は高価ながら「経済性」があるということでもある。

電車区ごとに車種統一する都合から、205系と207系の新造が併存していた時期はあったが、1995年以降はVVVF車の新造(国電線区なら207系)に統一されている。

217系
VVVF版211系ともいえる形式で、低MT編成である部分も踏襲された。113系から217系では、基本と付属の連結を逆にしているのが特徴である(113系では横須賀線逗子基準で東京側から4両+11両としていたのを、217系では逗子駅での連結作業に配慮して11両+4両とした)。逆編成となることで、東海道線並走区間(戸塚等)でグリーン車連結位置が異なるという弊害は発生する。しかし、横須賀線車両はほぼ横須賀線でしか走らず、逆に東海道線の車両が横須賀線を走ることは、不通時を除いてほとんど発生しない。したがって「横須賀線と東海道線は別系統の電車である」という理屈から、連結順を逆にしたという。また、万が一転属の必要性が生じた場合に備えて、電気連結器を両側に取り付けてある。

車内設備については、編成内でロングシートとセミクロスシートの連結位置を分けた点、グリーン車を2両ともダブルデッカーとして定員を増やした点が挙げられる。これまで211系2000・3000番台のようにロングシート車として新造したり、また1989~1990年度にかけては115系300番台7両編成にロングシート化改造を施したりしたが、いずれも編成単位のものである。217系では日中の長距離需要に備えて、15両で編成を組んだ時に両側の先頭から2両をセミクロスシート、残りをクロスシート車となるように座席を分けているのが特徴である。「近郊形」としての意地なのか、セミクロスシート側が0番台、クロスシート側が2000番台で区分されているものの、基本番台であるはずの0番台が15両1編成中4両しかないため、少数派となっている。グリーン車については、着席通勤のためグリーン車需要が旺盛になっていることから、2両ともダブルデッカーにしたという。

ちなみに217系は113系置き換えの過程で、長期間にわたり併存することが想定された。また横須賀線は運用に併結が絡んでくることから、取り扱い共通化のためブレーキ読替装置を搭載し、異種併結の試験が行われた。しかし、電磁直通式の113系と電気指令式の217系とでは併結に問題が生じたようで、結局併結は試験のみで終わってしまい、営業運転で行われることはなかった。


501系0番台
常磐線上野口の混雑緩和を目的として、1995年に207系の交直流版となる501系が登場した。本来は403系の次とした405系とするべきなのだろうが、403系自体が近郊形であり(区分上は近郊形だが)、交直流電車としては初の通勤形車両であったことからも500番台に改めたのだという。4ドア採用には、沿線自治体からは「常磐快速線土浦延長」としての要望というきっかけがあり、国鉄としては中電線区への4ドア車投入試験、常磐新線用車両の試験といった名目から、まずは10両編成4本と5両編成4本が新造された。

結果としては、3ドアでは乗降に時間のかかっていた常磐線が、4ドアの501系ではサッとはけるようになり、混雑緩和には一役買ったことになる。しかし、トイレなしの通勤形として新造してしまったため、(運用を上野~土浦間に限定したとはいえ)その点は問題だったようである。そのため、ほどなくしてトイレ設置の改造が行われた。

とはいえ、501系は国鉄首脳陣に中電の4ドア化を推進させるきっかけを作った車両でもある。車両側の仕様変更であれば、新線を建設するよりも格段に費用が安く済むため、今後の首都圏車両は、近郊形の幅広車体と通勤形の4ドア構造のいいところ取り(あくまでも混雑緩和の面からではあるが)をした「一般形車両(首都圏形とも俗称される)」と呼ばれる231系電車の新造にシフトすることなる。

なお、501系のその後であるが、2000年代に入ると、北関東の中電三線(高崎、東北、常磐線)にも東海道・横須賀線と同様、グリーン車を連結することになった。この関係で、グリーン車組み込み対象外となった501系は中電のM運用から、国電(常磐快速)のH運用にシフトされた。要は取手までの常磐快速が、501系充当車に限って特別に土浦まで延長を行うといった運用が組まれていた(81H、83H、85Hの3運用が501系専用運用となっていった。なお、取手までの運用に入ることもあった)。この関係で、松戸電車区に転属したが、検査等は従前通りの勝田で行うという、ややこしい取り回しが行われていた。しかし、2010年代には北関東中電三線の東海道線直通化に伴い(上野~東京間の列車線を復活させる「東北縦貫線計画」)、常磐快速についてもグリーン車を連結することとなった。これに伴い、501系のグリーン車連結が検討されたが、新型車両に置き換えた方が得策と判断され、上野口運用から撤退した。撤退後の現在は、水戸線と友部以北いわき以南の常磐線区間に使用されている他、10両編成に先頭車化改造を施し、全編成が5両編成となっている。

501系1000番台
501系1000番台は常磐新線向けに設計変更された車両である(常磐新線の開業は2005年であるが、501系1000番台として登場したことや量産先行車となる編成が1990年代末頃に登場しているため、こちらで扱う)。しかし、設計変更といっても大胆なもので、0番台の2M3Tから1000番台では4M2Tに変更、ギア比・モーター等も変更が加えられており、なんと130km/hでの運転が可能である(0番台は製造時110km/h、更新後120km/h)。一部車両にこそセミクロスシートは付けられたが、「高速運転により所要時間を短くした」という理由で、0番台で問題が露呈しながらもトイレは省略している。501系0番台と1000番台の違いは、マニアに「EF64形式0番台から1000番台並みの変更」として例えられることが多い。

交直流で通勤形が必要な路線は、常磐線と常磐新線ぐらいなもので、更に両線で規格が全く異なることから、車両転配は考えず、新造から寿命まで同じ路線で使い続ける計画とされている。

余談だが、常磐新線では8両対応、常磐線では15両対応と、全く互換性のない規格としたのは、「国鉄五方面作戦」などでの反省から、常磐新線では国、沿線自治体から一定額の補助を受けて建設されている。この関係で、国・自治体サイドからは厳しいコスト削減を要求され、また国鉄自身も債務問題から建設費削減への意識が強く、常磐新線ではこれまでの国鉄にあった「ゆとり」が大幅に削られる形となった。

そして余談の余談であるが、特急以外での一般形車両でうっかり130km/h運転を達成してしまったことにより、関西の各鉄道管理局より「130km/h対応の新快速車両を投入して欲しい」との要望が上がった。国鉄本社としても、新快速が関西地区で好評であることから、無碍にはできず、要望通りの130km/h対応の新快速車両が登場することになる。

関西地区

215系の後期増備車では、更なる高速化を追求するために、ギア比を4.21に変更したり、弱め界磁を25%まで弱めるなどの試験が行われた。しかし、前者は発車時に電気食いとなり、後者はフラッシュオーバーのリスクをいたずらに高めるだけだと判断され、「直流車での高速化追求は困難」と結論付けられ、元の仕様に戻された。

一方、関東地区ではVVVFの近郊形217系が登場したが、(4M7Tでギア比を6.06にしたというのもあるが)もっさり加速が関西ではウケず、「こんな車両なら113系を寄越された方がマシ」とまで発言した管理局さえあったという。また関西空港開港に伴う215系の投入により、近郊形の導入は一段落したため、通勤形の拡充に移ることになる。

ここで大阪鉄道管理局は、ギア比を7.07でMT比を4M6Tのままとしても、モーター回転数を向上できれば最高速度向上が可能なことに気が付く。そこで、モーター設計変更車を「試験」と称して、「多めに」導入するという手段に出た。これは本社でも問題視されたというが、首都圏中電線区でも120km/hに速度向上する動きがあり、ことなきを得た。この変更車は207系1000番台と呼称され、前面形状の変更が行われた他、関東地区でも一部線区に導入が行われた。

2001~2010年

全般

この頃にはかつて大量に新造した103系の老朽化が深刻となっており、置き換えが急務となった。また首都圏の混雑率は依然として高い水準にあったことから、更なる混雑緩和策が必要と判断された。このことから、国電と中電で幅広車体で4ドアとした車両を導入することになった。こういった車両はこれまでの国鉄に例がないことから、「一般形車両」と新たに定義され、形式は30番台を用いることになった(直流用の231系、交直流用の531系が登場した)。

また首都圏以外に目を向けると、混雑はある程度緩和されるようになった。また、関西のみならず、名古屋鉄道管理局や各地方鉄道管理局からも、新快速と同様の「3ドア・転換クロスシート」の車両が、電車・気動車を問わず要望されるようになった(一部では混雑のためロングシートを要望している管理局もあった)。「ある程度のサービス水準を求めつつ、かつ混雑時にある程度取り回せる」ということを考えると、首都圏以外の地域ではここに落ち着くということでもあるのだが、国鉄本社はすんなり容認したという。いわく1980年代以降は「サービス向上」が強く求められるようになり、「どうせ関西の連中には妥協しないといけない」といった事情がはたらいてこうなったものと思われる。

しかしながら、ある種の「国鉄ヒエラルキー」は変わっておらず、一部の例外を除けば「都市部から地方へ車両が転出する」という動きは変わっていない。そのため、直流線区においては、215系が回って来れば上等、211系でもまあまあという地域が多い。一方、交流線区でもこのヒエラルキーはあったが、交流対応車両のお下がりが基本的に415系であり(それでも419・715系や急行形車両に比べればマシではあるのだが)、どうあがいてもロングシートかクロスシートとなる。しかし、近年の交流線区では、415系鋼製車の老朽化が進み、更に閑散線区の合理化(2両&ワンマン化)を行う都合から、新造車両の導入が不可避となりつつある。

とにもかくにも、首都圏向けは4ドア車(国電線区なら全車ロングシート、中電線区ならグリーン車・トイレ付で、一部車両がセミクロスシートといった差異は存在する)、その他の地域には「新快速形」と俗称される3ドア車(転換クロスシートが原則だが、混雑状況に応じてロングシートやセミクロスシートへの変更が行われることもある)

関東地区

前述の通り、231系ではこれまで通勤形と近郊形で異なっていた車幅を、原則2950mm幅に統一した(地下鉄直通関連のみ車両限界の関係から2800mm幅のままとされた)。またドア数も3ドアと4ドアで異なっていたのが4ドアに統一された。

一方で中電向けでは長距離利用に対応するため、トイレを設置している他、一部車両ではセミクロスシートを残すことになった。基本的には駅の階段等から遠い(混雑しにくい)、編成両端から2両がセミクロスシート設置車両となっている。

また207・217系と同様、編成中のM車を減らした2M3Tを基本に編成を組んでいる(例えば10両編成ならば4M6Tとなる)。

この他、車内設備の違いによって番台区分が行われている。通勤形は基本的にロングシートしかないので、車内設備を起因とする番台区分を特に必要としないが、中電線区向けは「トイレ設置」「セミクロスシート車」などで、各車によって仕様が異なるため、番台区分は必須とされた。基本的には、国電向けが0~999、中電向けが1000~を使用している。

国電向け
231系第一陣は中央・総武緩行線と常磐快速に新造された。山手線を差し置いたのが意外なところであるが、これは山手線向けに新型ATC化等の設計変更が必要になったため、開発が若干遅れたためである(後述)。その後は各線区への直接投入も期待されたが、やはり「国鉄ヒエラルキー」なのか、山手線向けに新造し、その「お下がり」となる205系が南武線や武蔵野線等の各線に回されることになった。車両が新しくなっても「やはり国鉄は国鉄だった」と落胆された方も多かっただろう。ただしこれは、山手線向け新型ATCの導入や転用改造で各工場の技術力を維持する面もあるので、必ずしも「お下がりを回したくてやっている」という訳ではないようである。なお、4ドアが原則ではあるが、混雑緩和の都合上、一部線区ではやむを得ず6ドア車を連結している。

山手線向け231系の特色として、500番台に区分変更され、6M4Tの高加速編成となった。また車内には液晶ディスプレイ式の案内表示器が搭載された(試験的なものを除けば231系500番台が国鉄初となる)。これは山手線が「東京の顔」(更に言えば「日本の顔」「国鉄の顔」)であり、対外的なアピールのためだと思われる。

また各地から転出した205系は、武蔵野線や南武線、仙石線等に転出して103系を置き換えたり、増発用にも用いられた。また編成短縮により中間車の先頭化改造が必要となったが、HIDの試験と称して、オリジナルのものから形状が変更されている(前面上部にHID式ヘッドライトを2灯設置)。この関係で、配置先にオリジナル顔しか持たない武蔵野線には、取り扱いの都合から先頭化改造車は配置されていない。一方、仙石線や川越・八高線は配置205系の全てが先頭化改造車に統一されている。ただし、南武線に関しては、鶴見線向けと南武支線向けに先頭化改造車を抱える関係から、南武線6両に先頭化改造車があっても問題なく、オリジナル顔と先頭化顔が混在する路線となっている。

この他、武蔵野線205系向けについては、京葉線地下の急勾配区間走行の都合から、VVVF改造を行っている。VVVF化しない場合だと6M2Tとする必要があるが、これだと他地域に転用する分のM車が不足する。しかし、VVVF化を行うと4M4Tで済み、他地域にも電動車を転用できるようになる。またVVVF化による消費電力削減効果をテストしたかったという面もあるだろう。本来、この205系は207系に編入されるべきなのだが、207系転用の兼ね合いから、207系の番台を空ける必要があり、M車のみ205系5000番台と区分するに留まっている。

中電向け
国電向けとほぼ同時並行する形で、1000番台(実際には1000番台以外の番台も使用するため、公式には1000番台とは呼ばれず、「中電向け」と呼称されることが多い)の導入が進められた。置き換えた113・115系は、後期に新造したものを各線区に転属させ、初期に新造したものは廃車とする方針が立てられた。

また、従来中電線区でも東海道線と横須賀線(総武快速線含む)にしかなかったグリーン車であるが、着席需要の高まりやロングシート化による定員拡大からグリーン車を組み込む余裕が生まれた(というと若干語弊はあるが……)ため、2階建てのグリーン車が2両、4号車と5号車に組み込まれている。

新造順としては、東北・高崎線向けへの配置を最初に行い(小山電車区にのみ配置、新前橋には211系が転入)、次に常磐線向けの531系が導入され、415系を交流各線区に転出させた。

中電線区で最後になったのが東海道線であるが、これは熱海以西直通列車をどう処理するかが課題となったためである。当初は熱海で完全に分断する案もあったという。しかし、直通流動が少なからずあり、また朝夕でも相応に混雑することから、10両編成が朝夕限定で沼津まで乗り入れる形態とすることになった。また一部に存在した御殿場線直通列車についても、231系置き換え直後も直通は続けられたが、後に直通廃止となり静岡区が受け持つことになった。

関西地区向け

「新快速形」として221系が新造された。130km/h対応となり「まさにこれが俺たちの追い求めていた車両だ!」と関西の各鉄道管理局の間で評価が高かったという。一方で215系は130km/h運転に対応できないことから、早々に新快速から外された。その後は、関西地区の快速系統の性能底上げを行いつつ、地方線区のサービス向上を図る目的から、関西地区に221系が導入され、玉突きで215系を転出するようになった。ただし、215系転出は関西地区内の113系置き換えが優先された他、新快速の12両化や運行区間拡大(敦賀直流化により、敦賀~播州赤穂間に拡大した)により、新快速そのものに車両が必要であったことから、それほど転出は進まなかった。結果、首都圏と同様に「新しい113系で古い113系を置き換える」という状況になっていた

一方で、直流線区では215系を熱望する声が多く、既に転換クロスシート車を運用していた広島・岡山地区(115系3000番台や213系)のみならず、他地域も急行の快速格下げ列車のアコモデーション改善に215系を要望する声は多かった(例としては、長野地区からも快速「みすず」等の置き換えで215系転入が要望されていた)。

結局これらは2010年代に入り、首都圏・関西地区での置き換えが一段落するのを待たなければならないのが、地方管理局の現状でもあった。

東海地区

関西地区同様221系が導入され、一時期は新快速が飯田線豊川にまで足を延ばすこともあったが、最終的に、日中は大垣~豊橋間、朝夕は米原~浜松間に落ち着いている。

東海地区はエリアが狭いこともあり、東海道線や中央線中津川以西からの113・115系の撤退は進んだが、中央線中津川~塩尻間や身延線のような閑散区間にはまだ残存していた。これは予算配分の都合で、どうしても関東と関西に優先的に振り分けられることから、どうしても中途半端なところで終わってしまうためだという

この他、通称「大新快速構想」とも呼ばれる「熱海~下関間を一つの新快速列車で運行しよう」という構想もあった。しかし、そのためには膨大な予算が必要であり、更に各区間で需要が同程度であるのならともかく、実際にはそれぞれで異なることから煩雑な増解結・運用が必要となる。国鉄本社のみならず、各鉄道管理局からも実現を疑問視する声が多かったため、一旦取り下げられた。しかし、「大阪~名古屋のような利用なら可能性はあるのではないか」として、区間を限定し、再び検討が進められている。

九州地区

九州地区では715系の置き換えのため、常磐線415系の転入が進められた(仙台・北陸地区の419・715系についても同様に置き換えが行われた)。また、九州の各鉄道管理局は「交流線区用の新快速形のお古はどうあがいても来ない!」といったことを声高に主張し、新車導入を暗に要求した。しかし、これに対して、関西及び東海地区で117系が余剰となっていることに着目し、485系の廃車で生じた変圧器を載せて、交流新快速形の「お古」を回させることに成功させてしまった。もちろん、2ドアの取り回しに難儀していたので、反発する声も少なからずあったというが、「両開きなので急行型や715系よりはマシ」「これを拒否したら何が回ってくるのか分からない」という声もあり、一旦は受け入れることになった

2010年~現在

全般

2010年に入ると、懸案だった103系置き換えは一段落した。その一方で、今後は日本全国どこでも「局所的に利用が増えることはあっても、全体で劇的に増加することはない」と判断された。これは、サービス面ではこれ以上の向上が困難であること(速度向上は費用対効果的に困難、アコモデーションでは既に転換クロスシートにまで引き上げられている)、また社会情勢から人口減少が予測されたこともある。

これは地方線区で顕著に現れており、広島地区など4ドア車(103系)が必要だった路線でも、利用動向の変化から3ドア化で事足りるようになった路線もある。また、105系や119系が行っていた(どちらかといえば支線的な路線での)短編成運転を、今後は本線格の路線などに拡大する必要が生まれた。基本的に新快速形を除いて短編成化は困難であり、また交流線区では「お下がり」そのものがないという状況であった。

幸い三大都市圏の車両更新(103系や113・115系置き換え)が一段落したこともあり、地方線区に割くリソースが生まれたため、2010年以降は地方線区向けへの直接的な新車投入が進むことになる。

  • 最終更新:2018-05-26 00:09:03

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