県営鉄道3000系

試作電車

基本性能

  • 編成
    • ~2001:3500(Tc)+3100(M)+3200(M')+3100(M)+3200(M')+3500(Tc')
    • 2001~:3500(Tc)+3100(M)+3200(T)+3100(T)+3200(M)+3500(Tc')
  • モーター出力・ギア比
    • ~2001:150kW・5.6
    • 2001~:190kW・7.07
  • 制御方式
    • ~2001:AVFチョッパ制御(4M2T)
    • 2001~:IGBT-VVVF(1C1M4群/2M4T)
  • ブレーキ方式
    • ~2001:回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
    • 2001~:回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ
  • 起動加速度:3.0km/h/s
  • 最高速度:110㎞/h

概要

3000系は1975年に新造された車両である。登場時はオールステンレス製・電機子チョッパ制御であった。2000系の後継形式という立ち位置であり、今後の延伸の際には更なる増備が考えられていた。しかし試作的な要素が強く、また軽合金にチョッパの組み合わせがかなり高価であったため、新造は6両編成1本のみで終了した。その後の増備は費用を抑えるため、セミステンレス・界磁チョッパ制御に変更した3010系が増備されることになった。

2001年にチョッパ装置の老朽化から、VVVF化の実施と車体更新が実施された。

新造までの経緯

1972年のさつきが丘延伸時点では、「津田沼~さつきが丘間運転の快速」と「津田沼~花見川団地間運転の各駅停車」の2本が運転されていた。これを1977年のダイヤ改正で、各駅停車についてもさつきが丘まで延長運転することになり、1本増備する必要が生じた。

当初は2000系の増備で対応する予定であったが、折からのオイルショックにより省エネに配慮した車両を導入することになり、電機子チョッパ制御の導入を検討することになった。当初は通常の電機子チョッパ制御とする予定だったが、メーカーからの提案もあり、直巻モーターのままでも、まるで界磁チョッパ制御のように界磁も制御できる「AVFチョッパ制御」を導入することになった。

3000系はダイヤ改正の2年前となる1975年に登場した。これはブレーキ方式も変更により乗務員習熟の時間が欲しかったことと、高調波による誘導障害対策に時間がかかることを懸念して、余裕を持たせてデビューさせたためである。

仕様

走行装置

3000系はAVFチョッパ制御を採用した。AVFとは自動可変界磁のことで、早い話が複巻モーターを使わず(直巻モーターのまま)、回路を工夫し界磁の電流制御をリニアに制御しようというものである。これにより界磁抵抗が不要となることや電機子チョッパの弱点でもあった高速域の回生絞り込みがある程度改善できるメリットがあった。なお、回路をいじるなどという面倒なことはせず、素直に複巻モーターを使って同じことをしたのがAFEチョッパ制御(電機子チョッパ+界磁チョッパ)である。

当初3000系では2000系と同じモーターを使い、メンテナンスに配慮する予定であった。しかし、(同じ直巻モーターではあるが)AVFチョッパ採用によりモーターの構造を変化させる必要があったこと、また回生ブレーキ対策のためモーターの特性を変更する必要があったため、3000系では別のモーターとなった。チョッパ制御で回生ブレーキを使う場合、高速域で発生電圧が上がりすぎてしまう問題が起こる。そのため、ギア比を下げてモーターの回転数を抑える必要がある(ギア比が小さくなれば伝達する力も小さくなる)。ただし、そうすると今度は加速時に大電流を食いながらの起動を余儀なくされるのだが、回生ブレーキ車が増えればこのデメリットも薄くなると判断され、電流食いには目をつむることとなった。

ブレーキ方式は在来車との互換性を取って電磁直通ブレーキ(HSC-R)とした。しかし、電磁直通ブレーキは回生失効が起こると、空気ブレーキ切り替えに約2秒かかるという問題もあった。例えば72km/hで突然回生失効した場合、2秒空走すると40m進むことになる。40mは電車2両分であり、ブレーキのタイミングがギリギリだとそれだけ停車位置がズレるということでもある。そのため、運転士によっては回生ブレーキを殺して運転することもあったようだが、それでは何のための回生ブレーキか分からない。このような経験もあり、3010系で界磁チョッパ制御に移行した際には、ブレーキ切り替えが0.5秒程度になる電気指令式ブレーキを採用することになった。

台車はS形ミンデン式とされた。また枕バネが初の空気バネとなり、乗り心地向上に配慮した。

車体

車体はメンテナンス性の向上及び軽量化を狙って、オールステンレス車体とした。この他、妻面窓を廃止し、構造の単純化を図った。

冷房装置は軽量化の一環として、1か所に重さが集中しない集約分散式のものを採用。4台搭載としている。またパンタグラフはPT43とした。

運用

登場時(1977年)

3000系は1975年の入線より試運転を重ね、1977年に運転を開始した。

この頃には「チョッパ制御は高速運転に向かない」という知見があったこともあり、主に各駅停車での運用がメインであった。各駅停車であればブレーキ初速が低く回生ブレーキをフルに使えるのと、ストップ&ゴーが多いことからも効率の良さが現れやすく、そのメリットを存分に発揮した。とはいえ快速運転に全く向かなかった訳でもなく、高速域からの回生ブレーキをある程度対策していたため、そこまで運用上不都合はなかったという。

量産中止と設計変更の決断

以降、3000系を量産していく方針であったが、新造費用が高くついてしまったことから、新造費用の低減が求められた。

その後、1981年の犢橋延伸の際には、セミステンレス・界磁チョッパ制御に変更した3010系が導入されることになった。しかし、3010系もセミステンレスゆえ長く使用できず、更には複巻モーターのメンテナンスの問題もあったことから、VVVF車導入まで迷走の時期が続く。

主回路故障とVVVF化による再起

1990年には登場から15年が経過し、一部に劣化が見られたことから、ゲート制御部の更新が行われた。

元々高価な車両であったこともあり、その後も末永く使用していく予定であった。しかし、2001年頃には制御器故障が頻発するようになり、長期の運行離脱を余儀なくされた。

最終的に2M4T・個別制御によるVVVF化が施された。この背景には、新造から40年(2015年頃)までは使用したかったことに加えて、可能な限り低MT比で高性能化を行うとすると、個別制御しかなかったことによる。なお、3000系VVVF化の後に登場した5000系は1C4Mの構成となっている。

引退へ

(準備中)

  • 最終更新:2017-12-18 18:26:17

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