習志野電車_軌道線時代の車両

おことわり

軌道線時代の車両は資料が少なく不明な点が多いことから、1つのページにまとめて記載する。

1形

  • データベース
    • 全長7.6m
    • 出力:18.6kW×2
    • 在籍年:1903-1925
    • 車号:1-5

1形は1903年の津田沼町営軌道開業と同時に導入された車両で、東京電車鉄道(現在の都電)が導入した車両を参考として導入された。

軌道線時代の町営軌道(習志野電車)は単線でであり、交換設備の兼ね合いから同時に運転できるのは3両までと判断された。そこに予備車分を足して5両となるので、1形では5両が新造された。車庫は現在の藤崎台付近に置かれ、そこで検査等を行った。

全長7.6m、定員40名の木造2軸車で、屋根はダブルルーフ、側面窓は10枚であった。また車両前後にオープンデッキを設け、車両への出入りはそこから行っていた。

木造ゆえに老朽化が早く、1925年の6形導入時には全車両が営業運転から引退した。その後、1号のみ車庫に保管され、戦後開設された資料館で保存・公開されることになる。

6形

  • データベース
    • 全長11.6m
    • 出力:37.5kW×2
    • 制御方式:直接制御
    • ブレーキ方式:SM-3
    • 在籍年:1925-1954
    • 車号:6-10

1925年の津田沼駅高架化に合わせて5両が新造された。ほぼ木造ではあるものの、車体の柱と屋根組に鉄骨を用いているのが特徴である。またデッキを廃して乗降口と客室を一体化した構造となった。これはモーターを小径化したことで(790mm→660mm)、ステップ1段で車内に上がれるようになったためである。

1形ではGE社製の電装品が使用されていたが、6形では国産のものになった。台車はD-10形、モーターは37.5kWのものを2台搭載、ブレーキ方式はSM-3であった。

木造車体のまま戦時中も使用されていたが、さすがに老朽化が隠せないということで、1951年に11形と交代する形で引退した。なお、6号のみは車庫に保管された。

11形

  • データベース
    • 全長11.7m
    • 出力:37kW×2
    • 制御方式:抵抗制御
    • ブレーキ方式:SM-3 (非常用として電気ブレーキを併設)
    • 在籍年:1953-1969
    • 車号:11-21

6形の置き換えを目的として新造された鋼製電車である。当形式が軌道線時代最後の車両となった。

習志野電車では、利用者の増加に頻発運転、車体の大型化等で対応していたが、ついにそれも限界が来たということで、11形では連結可能な構造とすることになった。とはいえ、11形は全幅が2.2mほどの車両であり、車両限界の都合から車幅を拡幅するのも困難であったため、貫通路の後ろに運転台を設置して対応した。

当初は2両運転とするため、1953年に8両(2両編成3運用+予備車2両)を新造したが、輸送力が不足したため、翌年に3両を新造し3両運転に対応した。

1969年に軌道線が廃止となり、足回りの転用も行われなかったことから、全車両が引退した。

軌道線車両の現在

軌道線廃止とともに藤崎台の車庫が廃止となり、車庫で保管されていた1形1号、6形6号は新たに造られた実籾検車区に移送された。この他、11形の内トップナンバーである11号が実籾まで自力回送された。これら3両は庫内で保管されていたが、2008年頃に検車区の一角に「実籾でんしゃ広場」が開設され、その中で展示されている。

  • 最終更新:2017-09-19 01:15:42

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