船橋電鉄_DD1形式

概要

DD1形式は1957年から1960年にかけて3両が新造された4軸のディーゼル機関車である。国鉄のDD11形ディーゼル機関車ではあるが、DD11形同様、エンジンに気動車用のDMH17エンジン(180PS/1500rpm)を採用しているのが特徴である。

なお、船橋電鉄では機関車に限って〇〇形式と呼称しており(電車は形)、当ページではそれに倣って記載する。

導入の経緯

路線建設時の資材輸送や沿線の団地造成、開業後は市場からの貨物輸送を目論んで新造された車両である。「電鉄」なのにディーゼル機関車としたのは、電化後に無架線の側線でも入線できるようにしたためである。この関係で、かつての船橋電鉄の乗務員は内燃動力用の免許を持っていた。

運用の変遷

路線開業前には1両が新造され、建設用の資材輸送に用いられた。1960年には2両が新造され、夏見台運動公園の資材輸送列車として、営業中の普通電車の合間に運行されていた。

その後、1969年に開業した船橋中央市場からの貨物列車として使用する予定であったが、1970年の国鉄船橋駅高架化により、国鉄との連絡が絶たれ貨物列車運行が不可能となった。また同年には金杉台団地延伸が行われており、利用者が増加したことで、旅客列車増発が行われた。

これらの要因から日中帯の貨物列車設定が困難となったことから、1970年以降は事業用として転用された。具体的には、1両が車庫内の入替車両、残り2両がレール・バラスト運搬の牽引車として用いられた。一応車籍は有していたので、場合によっては日中帯に単機ないし重連で回送されることもあったという。

余談だが、1970年の国鉄船橋駅高架化時の対策として、運動公園~馬込沢間に連絡線を建設し、東武野田線経由で貨物列車運行を行うという案もあった。しかし、この頃には道路整備がある程度進み、トラックによる代替が可能になったことから、連絡線建設は行われなかった。

引退

1980年代後半以降はエンジン部の老朽化に加え、部品確保が困難になった。また、1975年以降の船橋電鉄では、内燃免許のための養成を行わなくなり(入替等での本線以外で扱うことを目的とした教育は行われていた)、免許を持つ乗務員についても高齢化が進んでいたので、いずれ本線走行を行えなくなるのは確実であった。

一方で入替機や牽引車そのものは必要であったので、2002年にそれぞれ専用の車両を調達することになった。代替機の導入により、DD1形式は「裏方」的な部分からも引退することになった。なお、代替機については、車籍を有さない車両(構内機械扱い)となったため、車庫などの本線外、あるいは線路閉鎖後の本線でのみ使用される。

引退直前には、御滝線で電車を客車代用としたイベント列車が運転され、DD1形式が牽引機として用いられた。DD1形式にとって最初で最後の旅客列車牽引であった。

保存

2号機と3号機(DD2、DD3)は運用離脱後すぐ解体されたが、トップナンバーの1号機(DD1)は八栄橋の車両基地内で静態保存されていた。その後、車両基地移転の際には、移転先(みやぎ台)の車両基地まで、電車による牽引で回送が行われた。

現在では静態保存が行われており、車両基地の一角に保存されている。なお、静態保存ではあるが、エンジンの起動は可能で、車両基地公開の際には往年のDMH17のサウンドを聞くことができる。

船橋電鉄は存在しない鉄道です。

  • 最終更新:2018-06-16 10:25:43

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