開発1800形

とにかく非力だった車両

基本性能

  • 編成:デハ1800(Mc)+サハ1850(T)+デハ1800(Mc)
  • モーター出力:75kW(500V時)
  • ギア比:3.81
  • 制御器:永久直列抵抗制御(1C3M)
  • ブレーキ方式:自動ブレーキ
  • 起動加速度:1.6km/h/s
  • 最高速度:55キロ(認可55キロ)

概要

開発線の予備車確保を目的として、1968年に営団1000形を購入し導入された車両である。3両編成1本を組み1973年まで使用された。

経緯

開業時の開発線は、予備車数の関係で検査時や故障時に車両が不足することがあったが、検査でそうなることが予見される場合、あるいは故障で突発的にそうなってしまった場合には京成から車両を借りて対応していた。

その車両は新京成に譲渡される直前に遊休状態となっていた100形がメインで貸し出されていたが、1967年に100形全車が新京成に譲渡されたことで、借り受けが困難となった。この頃は各社輸送力増強が必要となっていた時代で、京成・新京成側としても1両でも多く有効活用したかったことから、京成と新京成は今後の貸し出しに難色を示した。自社で予備車を用意するにしても、稼働率が低いので難があった。

こういった経緯で標準軌の中古車両を探したところ、営団銀座線で1000形が余剰となっていたことから、銀座線1000形を開発線の環境に適合するように改造し、導入することになった。

形式

まず初めに検討されたのが形式である。当初はデハ1000形とする予定だったが、既に1000系の存在から、1800形を名乗ることになった。

1800とは中途半端な数字に見えるが、これは開発線の付番規則に由来する。

まず、この予備車は1編成のみの導入を予定しており、1000系の続番の2000系を名乗らせることを考えていなかった。そこで1000系の中から空いている番号を使用し、1000番台車を名乗らせることになった。

次に付番規則であるが、開発線では3桁目が「0~3」となる車両に電動車を、「5~8」となる車両には制御車・付随車を割り当てていた(4、9は忌み番として省略)。1000系には既に制御電動車のデハ1000形と制御車のクハ1500形が在籍していたが、長編成化に備えてMM'ユニットのモハ1100・1200形、付随車のサハ1600形を新造する予定であった。また、構想段階のものとして、デハ1300形(1Mの中間電動車)が検討されていた。そのため使用予定であった「0~3」と「5、6」は空けておく必要があった。また現在は予定していない「7」を使用する可能性も考慮し、最後の「8」を割り当て、1800形とすることになった。

ところで、銀座線1000形は全長16.31m・全幅2.593mと、1000系の全長20m・全幅2.8mに比べると、かなり小型な車両である。そこで電動車2両に付随車を挟んだ3両編成を組成し、輸送力の小ささを補った。なおこの付随車の形式はサハ1850形となった。

  • 1801+1851+1802

仕様

走行装置

1800形導入にあたって懸案だったのが走行装置である。まず銀座線1000形は600Vのサードレール方式であり、モーターの端子電圧も600Vであったので、当然そのままでは架線電圧1500Vの開発線を走らせられない。

他の車両からの機器流用も考えられたが、最終的に銀座線1000形のモーターを流用し3モーター化、これに対応する制御器は1C3Mとすることで落ち着いた。

1C3Mとすると電圧は500Vとなるが、銀座線1000形のモーターは端子電圧600Vであるため、約8割のパワーダウンとなる。またここに付随車を連結すると、更にパワーダウンしそうであるが、1800形の2M1T(3モーター×2)と銀座線1000形の3Mで(2モーター×3)ではモーターの総数は変わらないため、実質的には電圧低下分だけ性能が低下したことになる。

とはいえ、このパワーダウンはかなり影響が出たようで、モーター出力は90kWから75kWに、加速度も1.6km/h/sほどに低下した。更に銀座線では元々高速運転を行わないことから最高速度55km/hに制限されていたが、最高速度75km/hで駅間も開いていた開発線では苦しい走りだったようである。

車内

車内はほぼ手が入らず、付随車となった1851号車で運転台が撤去されたレベルのようである。リコ式の吊革も、引退までそのまま残っていた。

運用

登場時

1968年に運用を開始した。加速性能及び高速性能はあまりよくなかったことから、遅延が常態化していた。

遅延で問題になるのは、許容できる遅延を越えて運行間隔が広がってしまうことである。当時、北習志野~実籾間(4.9キロ)は10分で所要時間を引いており、朝は15分間隔とするため、5分折り返しとしていた。

ところが1800形を走らせたところ、頑張っても14~15分ほどはかかっており、余裕を使い切るどころか折り返しに必要な時間すらがなくなる事態が多発した。その結果、どんどん遅延が増幅していったのだが、結局この問題は車両が変更できないなら運行間隔を延ばすしかなく、1973年の引退まで朝の本数を15分間隔から17分間隔とすることで対処していた。

故障の多発

また1800形自体が老朽車両であり「いざ代走しようと出区点検をしたら壊れていた」ということも少なくなかった。もちろん現代のVVVF車とは異なり、1800形は機械で構成されているので、故障箇所の特定や応急修理は(技術さえあれば)容易ではあったが、なにかと手間がかかる車両であった。

引退へ

こういった経緯もあり代替が検討された。しかし、予備車故の稼働率の低さから、新造による代替は経営サイドが難色を示し、逆に中古車はまだまだ釣り掛け車が主流であり、1800形より多少新しくても効果は薄いとされ、現場サイドが消極的だった。

そのため、このまま1800形を使い続けることが予想されたが、幸か不幸か京成から1972年に750・2250形が廃車となった。750・2250形は比較的新しい車両であり、導入に見合うと判断された。

結果、1800形は1973年の750・2250形入線と同時に引退した。

  • 最終更新:2017-06-14 01:57:48

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